ずっと隠して生きてきました。
自分は男性が好きなんだなと自覚したのは小学3年生の頃。
だからもう長いですね。
35年以上も隠して生きてきました。
ゲイのマーケットが存在するのだということを知ったのは20歳の頃です。
駅のトイレにゲイポルノのグラビアが載った雑誌が落ちていたんです。
すごい衝撃が走りましたがその反面、
ああ自分だけじゃないんだ・・と思ったこと、
そして何かしらのゲイのマーケットがあるということに
とてつもない安堵を抱いたことを今でも憶えています。
インターネットなどない時代でしたが、
それでもゲイの世界を知ったのが20歳というのは
遅いほうだと思います。
世間知らずの子供だったのです。
言えなかったですね。
ゲイであることを言おうとも思いませんでした。
当時から精力的に活動をしていたゲイアクティブの団体はありました。
不安に思いながらもすぐに事務所を訪ねました。
スタッフはいい方ばかりでしたが、
でも自分はどうしても馴染めなかったです。
以降、この件に関しては静かに生きていくことを決めました。
7年間付き合った彼氏もいました。
でも、そのことを職場や家族や友人に言うことは一切ありませんでした。
2年前のことです。
那覇でLGBT(性的少数者)に関するセミナーのようなものがありました。
沖縄の大学に通う学生さんが自分自身に宛てた
カミングアウトの手紙を読み始めたんです。
後半は声を震わせながら必死になって読んでいるのを聞きながら、
ふと気づくと、配られた資料の紙の上に涙が落ちていました。
その日は夜の飛行機で東京に戻らなければならず、
彼の手紙を聞き終えて、そっと会場を後にしました。
東京に向かう飛行機の中で、
彼の声がずっと頭の中で繰り返し繰り返し鳴っていました。
楽天的な性格なのでしょう。
それほど悩んだ記憶もない。
ましてや死のうなんて思ったことは露ほどもない。
楽しく暮らしてきました。
でもどこかで無理をしていたのかもしれない。
学生の彼が読んだ手紙が自分の中の何かを溶かしたことは間違いない。
もうおしまいにしよう。
少し自分を解放してやろう。
ゲイであることを隠すことにちょっと疲れてしまいました。
沖縄ではここ2回ほどピンクドットというイベントに参加しています。
LGBTが生きやすい社会づくりを目指す、
という主旨で行われている催しです。
僕はこういった催しに参加するのがとても苦手です。
恥ずかしい話ですが、
昨年もそして今年も当日会場に行くまでには
何度も気合を入れないと行けないのです。
会場に着いてしまえば明るく振る舞えるのですが・・
10代20代で立派にカミングアウトしている人や
ゲイアクティブの活動をしている人は本当に尊敬します。
一方でカミングアウトができない人、したくない人の気持ちが
僕は痛いほど分かります。
だから、そういった人たちの味方にも少しでもなれればと思っています。
7月19日。
今年のピンクドット開催当日、那覇市は
「性の多様性を尊重する都市・なは」
宣言を行いました。
こんな日が来るとは夢にも思っていませんでした。
本当に感慨深いものがあります。
ここまでに至るには地道に活動をしてきたゲイアクティビストの方々の
尽力があってのものでしょう。
いきなり多くは望みません。
残念ながらこの世界においては少数派です。
自分の理解を超えるもの、異質なものを排斥したがるのは人間の本能です。
LGBT当事者の僕自身だって差別の心が全くないと言えば嘘になります。
人の好き嫌いも当然あります。
だから何とか知恵を振り絞って、
違いを認め合った上でお互いが生きていける社会を模索していきます。
少なくともせっかく好きで移住した沖縄では
隠さないで生きていこうと思います。
まだ少しの人数ですが、僕がカミングアウトをしても
皆当たり前のように受け入れてくれてとても感謝をしています。
でもちょっとでも苦手だなと思った人はどうか無理をしないで
そっと距離をおいてください。
僕は全然平気ですから。
城間幹子市長が読み上げる宣言文を聞きながら、胸が熱くなりました。
本当に嬉しかったです。
予想もしない展開になりましたが、沖縄に移住をして良かったなと思いました。
最後にお願いが2つあります。
もしこのブログを読んで下さっている方で、なぜ自分の子供は結婚しないのだろう?と
思われている親御さんがいらっしゃいましたら、私からお願いするのも大変恐縮なのですが、
できましたらそっと見守ってあげて欲しいと思います。
LGBTの人は見た目から判断できないことも多いです。
私自身もこの点では大変苦しい思いをしました。
どうかお願いを申し上げたいと思います。
そして、LGBTのことや性のことで悩んでいるあなたへ。
どうか自分一人だけで悩んで
自ら命を絶つようなことは決してしないと僕と約束してください。
どうかこれだけは絶対に絶対にお願いします。
2015年7月19日は忘れられない日になりました。
風太
にほんブログ村
自分は男性が好きなんだなと自覚したのは小学3年生の頃。
だからもう長いですね。
35年以上も隠して生きてきました。
ゲイのマーケットが存在するのだということを知ったのは20歳の頃です。
駅のトイレにゲイポルノのグラビアが載った雑誌が落ちていたんです。
すごい衝撃が走りましたがその反面、
ああ自分だけじゃないんだ・・と思ったこと、
そして何かしらのゲイのマーケットがあるということに
とてつもない安堵を抱いたことを今でも憶えています。
インターネットなどない時代でしたが、
それでもゲイの世界を知ったのが20歳というのは
遅いほうだと思います。
世間知らずの子供だったのです。
言えなかったですね。
ゲイであることを言おうとも思いませんでした。
当時から精力的に活動をしていたゲイアクティブの団体はありました。
不安に思いながらもすぐに事務所を訪ねました。
スタッフはいい方ばかりでしたが、
でも自分はどうしても馴染めなかったです。
以降、この件に関しては静かに生きていくことを決めました。
7年間付き合った彼氏もいました。
でも、そのことを職場や家族や友人に言うことは一切ありませんでした。
2年前のことです。
那覇でLGBT(性的少数者)に関するセミナーのようなものがありました。
沖縄の大学に通う学生さんが自分自身に宛てた
カミングアウトの手紙を読み始めたんです。
後半は声を震わせながら必死になって読んでいるのを聞きながら、
ふと気づくと、配られた資料の紙の上に涙が落ちていました。
その日は夜の飛行機で東京に戻らなければならず、
彼の手紙を聞き終えて、そっと会場を後にしました。
東京に向かう飛行機の中で、
彼の声がずっと頭の中で繰り返し繰り返し鳴っていました。
楽天的な性格なのでしょう。
それほど悩んだ記憶もない。
ましてや死のうなんて思ったことは露ほどもない。
楽しく暮らしてきました。
でもどこかで無理をしていたのかもしれない。
学生の彼が読んだ手紙が自分の中の何かを溶かしたことは間違いない。
もうおしまいにしよう。
少し自分を解放してやろう。
ゲイであることを隠すことにちょっと疲れてしまいました。
沖縄ではここ2回ほどピンクドットというイベントに参加しています。
LGBTが生きやすい社会づくりを目指す、
という主旨で行われている催しです。
僕はこういった催しに参加するのがとても苦手です。
恥ずかしい話ですが、
昨年もそして今年も当日会場に行くまでには
何度も気合を入れないと行けないのです。
会場に着いてしまえば明るく振る舞えるのですが・・
10代20代で立派にカミングアウトしている人や
ゲイアクティブの活動をしている人は本当に尊敬します。
一方でカミングアウトができない人、したくない人の気持ちが
僕は痛いほど分かります。
だから、そういった人たちの味方にも少しでもなれればと思っています。
7月19日。
今年のピンクドット開催当日、那覇市は
「性の多様性を尊重する都市・なは」
宣言を行いました。
こんな日が来るとは夢にも思っていませんでした。
本当に感慨深いものがあります。
ここまでに至るには地道に活動をしてきたゲイアクティビストの方々の
尽力があってのものでしょう。
いきなり多くは望みません。
残念ながらこの世界においては少数派です。
自分の理解を超えるもの、異質なものを排斥したがるのは人間の本能です。
LGBT当事者の僕自身だって差別の心が全くないと言えば嘘になります。
人の好き嫌いも当然あります。
だから何とか知恵を振り絞って、
違いを認め合った上でお互いが生きていける社会を模索していきます。
少なくともせっかく好きで移住した沖縄では
隠さないで生きていこうと思います。
まだ少しの人数ですが、僕がカミングアウトをしても
皆当たり前のように受け入れてくれてとても感謝をしています。
でもちょっとでも苦手だなと思った人はどうか無理をしないで
そっと距離をおいてください。
僕は全然平気ですから。
城間幹子市長が読み上げる宣言文を聞きながら、胸が熱くなりました。
本当に嬉しかったです。
予想もしない展開になりましたが、沖縄に移住をして良かったなと思いました。
最後にお願いが2つあります。
もしこのブログを読んで下さっている方で、なぜ自分の子供は結婚しないのだろう?と
思われている親御さんがいらっしゃいましたら、私からお願いするのも大変恐縮なのですが、
できましたらそっと見守ってあげて欲しいと思います。
LGBTの人は見た目から判断できないことも多いです。
私自身もこの点では大変苦しい思いをしました。
どうかお願いを申し上げたいと思います。
そして、LGBTのことや性のことで悩んでいるあなたへ。
どうか自分一人だけで悩んで
自ら命を絶つようなことは決してしないと僕と約束してください。
どうかこれだけは絶対に絶対にお願いします。
2015年7月19日は忘れられない日になりました。
風太
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