1978年5月20日、成田空港が開港した。

長らく成田空港の構内に入るには飛行機利用の有無に関わらず、
身分証明書の提示が義務付けられていたのだが
今年の3月30日をもって廃止された。
空港に入るだけのために身分証明書を出さなくてはならないなんて、
面倒だし利用者にはかなり不評だったと思う。

しかし身分証明書提示の廃止は個人的に少々感慨深いものがあった。

今は昔。
開港からさほど日にちが経たないある日曜日。
家に親戚が遊びに来ており、
成田空港でも見に行こうか!ということになった。
今から37年前。
小学生だった僕はもう嬉しくて大はしゃぎだった。

初めて飛行機に乗ったのは1976年。
羽田ー千歳。
忘れもしない、日本航空のボーイング747クラシックジャンボだった。
北海道に親戚がいるため、いつもこの路線。
ダグラスDC8、DC9、ボーイング727、そしてYS11などが
バンバン飛んでいる時代だった。

車は成田空港のインターに到着し、ここからが大変だった。
検問で見学に来たと言うと、
さも珍しそうに「見学ですか??」と訊かれ
全員車から降ろされた。
荷物を全部下ろし、中身を調べられ、
フロアマットを剥がされ室内とトランクを丹念に調べられた。
子供ながらに成田空港というところはどうやら羽田空港とは
かなり事情が違うようだと思ったのを憶えている。

そう、成田空港は空港建設反対派と壮絶な闘争のうえ開港した空港だった。
冒頭の身分証明書提示も昨今の国際情勢からの治安維持ではなく
(もちろんその意味合いもあるとは思うが)
元々は空港建設反対派のテロ防止のために行っていたのだ。

なんとか検問を通過し空港の館内に入った。
広い・・・
天井の高い出発フロアの雰囲気に見惚れてしまった。
北ウイング、南ウイングという呼び方が洒落ていた。
現在のようにチェックインカウンターも多くなく、
フロアの中央にはソファが置かれ、どこか優雅なホテルのロビーのようだ。

中央棟も現在とは違い土産物店やキオスク、フラワーショップなど
最低限のものがひっそりあるという感じだった。
開港して間もないというのに人は少なく、
どこもガラーンとした雰囲気を醸し出していた。

出発フロアの端には階段があり、上がっていくとカフェがあった。
驚いたのはオレンジジュースの値段。
800円だったのだ。37年前である。
子供ながらに海外に行く人達はどこか違う世界に住んでいるんだなぁ・・
と思った。
今で言うところのフレッシュジュースというか
果肉がたっぷりと入っているものだった。
輪切りになったオレンジがグラスに添えてあり、とても美味しかった。
成田空港の記憶=オレンジジュースの記憶なのだ。

欧米人はもとより、ターバンを巻いた人、中東の全身白い衣装を着た人、
物語の中でしか見たことがないような人達を実際に見て少し胸が熱くなった。

分厚いガラスの向こう側にはJALやパンナムのジャンボ、
そしてキャセイパシフィック航空のL1011トライスターが駐機している。
エンジン3発機の流麗な機体。
尾翼の美しい緑色が今でも鮮明に目に焼き付いている。
あれに乗って外国に行ってみたいな・・
両親に諭されるまでガラスに顔をつけて夢中で眺め続けていた。

それからちょうど10年後、大学1年の夏休み。
初めての海外一人旅で成田から香港へ飛び立った。
今は無きベアメタルのノースウエスト航空。
そして上海から香港へ戻る際に10年前ガラス越しに眺めていた
キャセイL1011トライスターに乗ることができた。
ボーディングブリッジでトライスターに乗ることが分かった時は
本当に嬉しかった。

現在の第1ターミナルは、
サテライトが増築されたり内装がリニューアルされたりはしているが
基本的に開港当初の建物がそのまま活かされている。
今でも僕はこの古い第1ターミナルが好きだ。

都心から遠い、24時間営業でない、滑走路が足りない、設計が古い、
いろいろと言われる成田空港だ。
アジアのハブ空港である、香港チェクラップコク国際空港や
シンガポール・チャンギ国際空港などを実際に見ると
もう差が付き過ぎていて愕然となるけれど、やっぱり成田空港には愛着がある。

長年千葉県に住み、成田空港に愛着があるからこそ敢えて言わせて貰えば、
僕は国益を考えれば全日空と日本航空の国際線は、
もう全て羽田に移してもいいと思っている。
海外へ向かう日本の地方の旅客を取りこぼしなく羽田で接続させればいい。
そして成田の空いた枠に海外の航空会社や内外のLCCにどんどん乗り入れて貰いたいと思う。
そのためには発着料をもっともっと下げていかなくてはいけない。
土台、アジアの最新の空港にはとうに先を越されているのだから
成田と羽田で客の奪い合いなどしている場合ではない。

今年2015月4月からはLCC第3ターミナルも稼働し始めた。
先日もここに降り立ったが多くの旅客であふれていた。
開港当初のガラーンとした空港を思えば、現在の活況は見ていてとても嬉しい。

トロント、ニューヨーク、バンコク・・
第1ターミナルの一番奥のサテライトなど、まぁ遠いこと遠いこと。
でもサテライトに向かうオートウォークを歩いていると
いい大人になった今でも思わず両手を広げて走り出したくなってしまう(笑)
心の中で無邪気だった子供の頃に戻ってしまう。

このブログのタイトルにも「成田」が入っている。
そう。いつになっても心の故郷のようなところなのだ。
成田空港、37年間の感謝を込めて。
次回もきっとまたここに降り立つのだろう。



風太


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